Augmented Mask
Tobias Klein
10 July – 23 September, 2017
Opening night reception + launch of publication: 10 July, 19:30 – 21:30
「アートとは、新しい宇宙の空間と時間を構成するコミュニケーション・コンピューター・視覚空間・現実空間・自然・人工生命の融合から出現するサイバースペースである。この新しいネットワーク環境は我々の知覚を増大させ、人類の文化と意識へと新たな形而上の寸法を与える。これに従い、知識の新規様式とそれの分配は試され拡張されている。」
− ロイ・アスコット著「From Appearance to Apparition: Communication & Culture in Cyberspace(出現から幻影:サイバースペースにおけるコミュニケーションと文化)」、1993年
この惑星での人類の誕生から、アートと科学は絶え間なく生命と自然における真実・価値・美しさを探求しながら持続的に絡み合っています。人類の文化と形式を継続的に再定義する為に、これら二分野の関係は、自然と人工・秩序と無作為・現実と虚構の境界での緊張の区別へと、哲学への関心を共有しています。 20世紀に入り、アーティストはテクノロジー(技術)を模索し始めたが、第二次世界大戦の後には更に大きな移行が起こり、そして再び70年代にはテクノロジーを基盤としたアートの美に注目する多くの評論的で哲学的な論文や随筆と、観覧者と作品の相互対話が盛んな中で再び発生しました。その多くはしかし、哲学的な明晰さにもかかわらず、常に動き続ける技術が偏在する生活の中で、何故か現在は無関係です。 私達はテクノロジーとの対話法と、それがどの様に社会構成に影響を与えるかを更に多く知っています。しかし、これは世界で指数的に変化しており、一つだけ普遍な物は人生、文化、コミュニケーションの意味を再調査し再定義する事への、我々の芸術的で科学的な努力です。変化する世界での真実と形状への絶え間なく続くこの捜索と、それとの対話へのアーティストの冒険は、アートの本質を描写しています。 Tobias Klein(トビアス・クライン)とは2年前に出会い、テクノロジーを文化的・概念的・美的に模索するアーティストとしての作品と心掛けへと即座に興味を持ちました。しかし、クラインの作品への興味は、観覧者を引き込む為への増強するバーチャルリアリティ使用の試みを二人で討論してから増幅しました。クラインの作品での技術方面への私の理解の欠如とは裏腹に、芸術的で相互会話的な作品と現代アートを更に包括的で理解し易くする試みへのキューレーターとしての興味は、非常にクライン当人と同様です。 我々がThe Container(コンテナ)にてプロジェクトへのアイディアを出し始めた時に、クラインの中国戯曲への関心に興味をそそられました。戯曲とは、動作、歌唱、クラシック曲、視覚構成、デザイン、演劇、語り物の他には見られない合併物であり、観覧者を肉体的、精神的、理知的に感覚上の経験へと浸らせる、人類が発明した最も網羅的で学際的なアートの表現です。その他多数のアートの形式と同様に、戯曲は数百年以前から存在しており、その豊かな歴史は非常に大きな文化的、社会的、政治的、美的な重要性を運んでいます。 The Container(コンテナ)でのクレインのインスタレーションAugmented Mask(増大するマスク)の語り口は有名な広東戯曲のThe Flower Princess(花の公主)を反響しており、これは高く評価される劇作家の唐滌生 (1917-1959) による著名な作品であり、唐の劇作家の経歴で最も活発だった時期に初演され(1957)、香港では現在でも一番の人気作品となっています。崇禎帝(スウテイテイ)の娘であり、周世顯に忠実を誓う公主の長平の悲劇的な人生が大本である恋物語となっており、劇の最後には悲壮な恋人2人の自殺と明王朝の崩壊を年代記としています。多くの評論家は戯曲と香港の文化と政情不安定の物語間の比較を描き出しているが、クラインは観覧者へと作品を見る中で活発的な役割を与える事に関心を持っており、女性と男性の機構実体の間でのサイバーネティック対話が行われたロンドンのICAでの1968年の展覧会Cybernetic Serendipity(サイバーネティック発掘)へと構成された英国のサイバネティスト作家Gordon Pask(ゴードン・パスク)の重要インスタレーション作品Colloquy of Mobiles(モバイルの会話)のポストジェンダー特殊性に共感を示しています。 Augmented Maskでは中国戯曲マスクの二つの精巧な実大モデルが見られ、これらは伝統的な戯曲と関連付く豊かな象徴性と隠喩をそのままの形で保ちながらも細密なデザインと白度で著しいです。マスクの一つは3Dプリントで作られ、the Containerにてオブジェとして存在します。もう片方はバーチャルリアリティとして単独で存在しており、これらマスクの蒼白さの比較は、閲覧者によって引き起こされ活発化される位置付けられた投影であり、積層性と実質性を加えています。この従事は複数のレベルで発生します。ヘッドセットからアクセスするバーチャルリアリティでは、観覧者はそこでの俳優であり同時に訪問者となります。訪問者の身体動作はスキャンされ、訪問者自身が1人を演じるキャラクター2人の間でのパフォーマンスへと追加されます。戯曲と類似しており、仮想空間での遭遇は舞台の連続を通して演出され、日出から日没までの1日の循環を示しています。風景は会話とマスクが相互に作用している事を表しています。徐々に観覧者は一つ一つの行動がマスクとの対話がさざ波のように広がっていく事を認識し、自殺の語り口の演技での役割に気づきます。当インスタレーションはThe Flower Princess戯曲での大詰めを再上演し、環境と観覧者の動作を通して登場人物同士の会話を容認します。男性と女性キャラクターの間での会話は、観覧者による促進操作を通じて容易になります。この幻影は継続する会話でのマスクに投影された相互作用による物です。VR内での会話は観覧者へと投影されます。この遭遇はプレイヤー又は役者を見つめるもう片方のマスクの視点から見られます。訪問者・役者と観覧者の間での観点の移り変わりは、参加と観察の間の演出された議論を設定し、ゴードン・パスクの作品のサイバーネティック・フィードバック・サイクルへと関連付いています。 二つ目の特徴はバーチャルリアリティ内とVRヘッドセットを通して出会う個人観覧者間でのテレビ上会話、そして3Dプリントされた物質的なオブジェへと直接に投影される会話のマッピング(図面化)です。この作品は会話を擬態するだけではなく、観覧者の動作を通じて個人的な解釈を許容させており、これはマスク上の一致する部分に入念に重ねた投影によって援助されています。 会話は7部分で構成されており、歌唱、聴取、クレッシェンド(次第に強くなる)としての合唱・聴取せずの非協調的な歌唱、これらコミュニケーション法4つの中の一つの形式を取ります。VR内の風景での景色の移行と、そして朝から晩までの自然日周期が遮られぼんやりとしている構成された瞬間を通して解釈され、静かなハミングへと戻る前に、投影されるモールス信号の強度を点滅する赤い投影の形として締めくくります。 当インスタレーションの強みは相互作用であり、そしてキャラクター間だけではなく、最も観覧者と投影による会話です。観客にバーチャルリアリティ・テクノロジーを使用させ、それぞれの動作と戯曲への反応を通じて場面をまたは演じて作品の不可欠な一部とさせます。効果的に観覧者をインスタレーションの見物人と進行役として解釈しています。 引き起こされるVR環境は鮮明で没頭させられます。海辺に乗った山岳風景を再構成しています。この場所は会話と決断の瞬間の間に立っているという事で選ばれました。風景は荒く、中国の水墨画の風景を再構成しています。マスクは生存生物として場面と繋がっており、3Dでスキャンされた(Kinec/キネクト)訪問者の動作で作動します。投影の質感が変化する中で、装飾されたマスクは生きており有機体であり、自らで実在となります。VR内では役者である全ての観覧者の動きはスキャンされ、風景とマスク全ての行動は役者や観覧者によって引き起こされます。デプスカメラを使用して動作の方向と手ぶりが捕らえられ、マスクの複雑な装飾と風景の質感に巧みな移行を引き起こします。音は観覧者の動作によって均一に増加され、引き込む対話の効果と要素へと転化されます。時には誤聴したかの様に微かで、時には非常に強烈な、このインスタレーション・アート作品へと特別に作曲されたこのサウンドスケープは伝統的な広東戯曲への応答ではありませんが、しかし技術的な設定でのマスクと風景の関係性の再定義を追求しています。 The Containerで開催される当展覧会の主要部分であるコーディングと、複雑な技術過程への私個人の技術的な理解が乏しい為に、クラインのAugmented Mask作品へと圧迫されましたが、クラインの技術に対する情熱とインスタレーションの相互作用によって説得されました。特に人間と機械の関係、そして現在の技術が発達した時代にその様な関係がどう私達に影響を与えるのかに引き込まれました。モノのインターネットが急激にありふれた物になり、人工知能とデジタル論理(機械の道徳)が人間性の将来への主要素として現れる時代で、当展覧会は技術だけではなく、しかしアートが時代を超えてある中での人類文化として表しています。 Augmented Maskは技術と機械を使用しているだけではなく、これら技術との共同での物語を創り出す事を表現しています。デジタル端末を通し、技術を適応させて人間性と文化へと価値を追加する表しです。 この野心的な展覧会はクラインの断固とした勤勉性と情熱、献身的なスタジオ職人達、インターナショナル・コーダーのチーム、日本のドイツ大使館と文化部門からの援助、そして勿論、ドイツ外務省からの援助無しでは開催する事が出来ませんでした。当プロジェクトへの精勤と資金に対して非常に感謝の念を捧げます。 |
“Art in the cybersphere is emerging out of the fusion of communications and computers, visual space and real space, nature an artificial life, which constitutes a new universe of space and time. This new network environment is extending our sensorium and providing new metaphysical dimensions to human consciousness and culture. Along the way, new modalities of knowledge and the means of their distribution are being tested and extended.”
—Roy Ascott, “From Appearance to Apparition: Communication & Culture in Cyberspace”, 1993
Relentlessly seeking the truth, value and beauty in life and nature, art and science have been continually entwined since the commencement of human life on this planet. The relationship between the two disciplines shares an interest in philosophy to demarcate the tension between the natural and the constructed, the ordered and the random, the real and the imagined, in order to continuously redefine form and human culture. Artists started to dabble with technology at the turn of the twentieth century, but more profound shifts occurred after WWII, and again in the 70s, with many critical and philosophical texts and essays looking at the aesthetics of technology-based art and the interaction between the audience and the works. Much of it, though, despite the philosophical elegance, is somewhat irrelevant today—in a life, where technology on-the-go has become ubiquitous. We know now much more about the way we interact with technology and how it affects social constructs. But in a world that is exponentially changing, the only invariable is our artistic and scientific efforts to reinvestigate and redefine the notion of life, culture, and communication. This constant search for truth and form in a changing world, and the journey an artist takes to communicate it, delineates the essence of art. I have met Tobias Klein over two years ago and immediately was interested in his works and his personal efforts, as an artist, to explore technology—culturally, conceptually, and aesthetically. However, my fascination with his works was amplified when we started to discuss his endeavors to use augmented and virtual realities as means to engage with the audience. My personal curatorial interest in interactive artistic works and attempts to make contemporary art more inclusive and accessible seemed very much aligned with Klein’s, despite my lack of understanding in the technicalities of his works. When we started to thrash out ideas for a project at The Container, I was taken by his interest in Chinese opera. Opera, like no other art, is the amalgamation of movement, singing, classical music, visual composition, design, theatre, and story telling—a sensory experience that immerses the audience physically, psychologically, and intellectually—it is one of the most encompassing and interdisciplinary art forms humans have invented. Like many other art forms, it has been around for hundreds of years, and its rich history carries significant cultural, social, political, and aesthetic weight. The narrative of Klein’s installation at The Container, Augmented Mask, echoes the famous Cantonese opera, The Flower Princess, a signature work of the highly respected playwright Tong Dik Sang 唐滌生 (1917-1959), which premiered during the peak of his creative career (1957), and proved to be an all-time favorite of the Hong Kong audience. It is a love story, loosely based on the tragic life of Princess Cheungping 長平, daughter of the Chongzhen emperor, and her loyalty to Jau Saihin 周世顯, chronicling the collapse of the Ming dynasty and the tragic double suicide of the lovers in the last act. Many critics like to draw a comparison between the narrative of the opera and the political and cultural instability of Hong Kong, but it appears that Klein is more interested in the active role he forces his audience to take while viewing the work, with a nod to the post-gender specificity of the seminal work and installation of the English cyberneticist Gordon Pask, Colloquy of Mobiles, conceived for the 1968 exhibition Cybernetic Serendipity, held at the ICA in London, in which cybernetic conversations took place between female and male mechanic entities. Augmented Mask sees two life-size elaborate models of Chinese opera masks, striking in their detailed design and in their whiteness, while keeping intact the rich symbolism and allusion that associated with traditional opera masks. One Mask is 3D printed and exists as an object in The Container. The other, exists solely in a virtual reality. Contrasting with the paleness of the mask are mapped projections, triggered and activated by the viewers, to add layering and substance. The engagement happens on multiple levels. In the virtual reality —accessed through a headset—the visitor becomes an actor in the scene and a spectator at the same time. The body movements of the visitor are scanned and added to the performance between the two characters, actively making the visitor acting one of the characters. Similar to the opera, the virtual encounters are choreographed through a sequence of stages, reenacting the cycle of one day, from dawn to dusk. The landscape indicates the setting of the conversation while the masks are interactive. Upon interaction with the installation, the viewer gradually asserts that each movement is rippling through the conversation between the masks, making own movement a role in the act of the suicide storyline. Alas, the conversation between the male and female characters of the opera is facilitated through augmentations that are controlled by the audience. The simulacra are interactively projected onto the mask into a continuous correspondence, projected through the VR mask. The encounter captures the point of view of the second mask, looking at the player or actor. This shift in perspective between the visitor/actor and the audience poses a choreographic argument between participation and observation – relating back to the cybernetic feedback cycles of Gordon Pask’s work. The second feature is the correlation between the mask in the virtual reality and its televised conversation between the individual audience encountered through the VR headset, and the direct projection mapping of the conversation onto the 3D printed physical object. The work does not only simulate the conversation, but through movement of the viewers, allows for a personal interpretation aided by the carefully overlaid projections on corresponding elements on the masks. The conversation is structured in seven parts and takes the form of one of four means of communication: singing, listening, singing together as a crescendo, and uncoordinated singing without listening. This is translated through the landscape changes in the VR environment as well as through constructed moments in which the natural daily cycle form— from morning to evening–—is interrupted and abstracted, culminating with the intensity of the projected Morse code sequence, in the form of blinking red projection, before restoring a silent humming. The strength of the installation is in its interactivity, and the conversation—not only between the characters—but, indeed, between the viewers and the projections. It enables the visitors, making use of Virtual Reality technology, to become an integral part of the work, reenacting the scene through their own movement and reaction to the opera. Effectively, rendering the audience to be the spectators and facilitators of the installation. The VR environment that is generated is vivid and immersive. It reassembles a mountainous landscape boarding with a seashore. The setting is chosen as an allegory to a standing point between the moment of conversation and decision. The landscape is rough and ressembles the landscapes of great Chinese ink drawings. The masks are connected to the space as living organism, feeding on movement of the 3D scanned (Kinect) movements of the visitors. As the textures of the projections are changing, the ornamented masks are alive and organic, developing entities of their own. Using depth cameras, the direction of movement and gestures with hands are captured and triggered into subtle shifts in the masks complex ornaments as well as the textures of the landscape. The sound is equally augmented by the visitors movement and translated into effects and elements of the conversation-—at times subtle and almost and incomprehensible, at times intensively stark. The soundscape, composed especially for this installation, does not replay the Cantonese opera in a traditional way, yet seeks to redefine the relation between mask and landscape in a contemporary technologically inspired setting. Due to my personal lack of the technical understanding of coding and the elaborate technical processes that are such major parts of this exhibition at The Container, I was intimidated by the curation of Klein’s Augmented Mask; but, I was won over by his passion to technology and by the interactivity of his installation. I was drawn, in particular, to the relationship between humans and machines, and how, in our day and age of technology, such relationships affect us. In an era where the Internet of Things is rapidly becoming common place, and discourse on Artificial Intelligence and Digital Ethics (the morals of machines) are emerging to be a major factor in the future of humanity, this exhibition is not quite about the technology itself, but rather, as art had been throughout the ages, about human culture. Augmented Mask is not about using technology and machines, but about producing a narrative collaboratively with them. It is about appropriating the technology to add value to humanity and culture, through bonding with digital devices. This ambitious exhibition would not have been possible without Klein’s inexorable hard work and passion, his dedicated studio workers, team of international coders, and without the support, understanding and vision of the German embassy in Japan and their cultural department, and of course, the Federal Foreign Office of Germany. We are greatly appreciative of the hard work and the funding of this project.
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